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企画展示『早川少年の見た戦艦武蔵と勝浦』

先日、自分のTo Doリストに入れていた勝浦図書館の企画展示『早川少年の見た戦艦武蔵と勝浦』に行ってきた。

この展示を知ったのは勝浦市議会議員で勝浦市観光協会会長もしている佐藤さんのFacebook投稿がきっかけだった。

自分が小学生の時に渡辺清著『戦艦武蔵の最後』という本を読んだのがきっかけで、太平洋戦争史に興味を持つようになったという経緯があり。「戦艦武蔵」というキーワードが刺さったのかなと思う。

展示自体は、題材となった早川さんの着用品や所蔵品が展示されていた。また、パネルには彼の経歴が詳しく紹介されていた。企画展示のタイトルとは違い、実質的には早川さんが15歳で海軍に入隊してから退役後の生活までを紹介した内容だった。もちろん、その中に武蔵に気象観測員として乗り組んでいた時のことや、勝浦市にあった震洋基地で働いていたときの内容も含まれてはいた。

早川さんは、15歳で少年志願兵(予科練?)枠で海軍に入ったようだが、当時はもう飛行機がなかったため、気象関係の訓練を受けたとのこと。赤紙招集の一兵卒ではなく、下士官候補生コースのような課程だったんだろう。

彼の経歴を見たときに一年の内に二等水兵→一等水兵→上等水兵に昇進、2年後の除隊時(17歳)には下士官になっていた。

菅原さんの資料にも書かれていたが、最初の配置が『武蔵』だったのは、早川さんが非常に優秀な人だったことを物語っている。

昭和19年の戦況が逼迫していた時代の少年兵なんて、食糧難&しごきでさぞや大変だったのだろうと思いながら、展示を見ていた。 しかし、彼のケースにおいてはそこまでの悲痛さは表現されていなかったのが、特徴として感じた。

食糧事情もそこそこ良く、バッタによる制裁も2度経験したのみ、みたいなことが書かれていた。

武蔵沈没→病気療養後の配置も故郷南房総白浜と近い勝浦というのも幸いだった。

これらは、彼の性格の良さ、海軍の優秀な下士官兵だった境遇にも関係しているように感じた。

もちろん、これらは早坂さんの前向きな人柄からでた表現であって、実際にはいろいろなご苦労があったことは容易に想像がつくという前提での話。
大西洋戦争末期に15歳で海軍に入って、実戦体験して、乗艦が沈没して、重傷を負って…、大変出ないはずがないのだから。

展示内容で気に入ったのが以下のエピソード。

2015年の武蔵慰霊祭でのこと。
武蔵が沈んだシブヤン海の戦闘で米海軍空母フラナガン搭載の雷撃機乗員として参加したRobert Freligh氏(少尉)が招待されていた。
彼は武蔵に魚雷を一本命中させ米軍十字賞を授与された人物。
通訳さんからFreligh氏に何か伝えたいことがあるかと問われた早川さんが、いたずら心で
『お前のせいで、重油の海を泳ぐことになったから、かっくらす(ぶん殴る)と伝えてください』
と答えて、通訳を困らせる。
しかし、実はFreligh氏もその戦闘で被弾し海上に不時着、早川さんと同じくシブヤン海を泳ぐ羽目になった。

展示室には戦艦武蔵や関連書籍も置かれていた。もちろん先述の『戦艦武蔵の最後』もその中にあった。最も興味深かったのは菅原雅彦さんという方が書いた『早川さんの戦争〜戦艦「武蔵」・第12突撃隊・特別輸送艦「菫」〜』という冊子だった。今回の展示もこの資料をベースに企画されている印象を受けた。

菅原さんはプロの作家ではないようだが、主に当時の少年兵や関係者の証言をまとめたレポートを著述しているようだ。図書館サーチで検索すると、いくつかのタイトルがヒットする。これらは販売されていないが、県内の図書館などでも所蔵されているので、今後実際に見てみたいと思う。


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